今を生きる
グッドバイの言葉には元々、神に委ねる意味合いがあったそうです。
日本語の「さようなら」にも、そうであるなら という物事を受け入れる意味が感じられます。
人との別れ もう会えないかもしれない別れ 特に「死別」。
1ヶ月半ほど前のことですが、我が家に16年も居てくれた猫(名前はドビー)がある日突然、姿を消しました。
私たち家族にとってもこの16年間は、とても色々なことがありました。ドビーが最初家に来た時は当然生まれてわずかの子猫でしたが、三人の子どもたちも高校生・中学生・小学生の低学年でした。
それからこの三人の子どもたちも、大学・就職・結婚そして、私たちに孫も三人授かりました。(今月出産のために一番下の娘が家に帰ってくる予定です。)
すでに三人の子どもたちは、家を出て所帯を持っていますから、私たち夫婦とドビーの三人?暮らしでした。
家族の歴史の大半を、このドビーは見届けてくれました。
ドビーは、この16年間の私たち家族の悲しみも喜びも、そして様々な出来事をすべて知っています。もしかすると夏目漱石の吾輩は猫であるの主人公のように、家の主人の性格は一番知っていたはずです。
名前をドビーとつけたのも主人です。だからかも知れませんが、主人の言うことにはとても従順でした。(たくさんのエピソード・思い出があります。)
動物とは言葉は交わせなくても、動物は人をよく観察しています。だから人間の気持ちや心の中を知っています。それは多分、本能のなせるワザなのでしょう。
私たちに死ぬ姿を見せないために突然姿を消したのだと思いますが、私たちの感情としてはまた帰ってくるのではと、この1ヶ月ほどは思っていました。
ですが、そろそろこの悲しい現実を受け入れることも必要だと思っています。
そんな時、別れの言葉「グッドバイ・さようなら」には冒頭で話したような共通の意味が含まれていると。
人と猫の意思の疎通にも、人種の違い言葉の違いはあっても、言葉以上の共通の想いと意味があります。
ドビーを偲んで「グッドバイ・さようなら」そして家族を見守ってくれて「本当にありがとう」。
「愛別離苦」という言葉がありますが、愛する人・大切な人との「別れ」は必ず訪れることを自覚すること、どう向き合い、今を、人生をどう生きるということを考えさせる言葉です。
猫ですがドビーの死は、そのことを教えてくれたと思います。最後にもっと大切にしてあげたかった。それが本心です。
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